去年の日記帳

1年前の日記を投稿しています ◆ 時々雑記

7月10日〜23日 狼の引っ越し 婚姻届 蝉の声

2022年7月10日日曜日

狼から1時間早まると連絡があった。急いで準備をする。リビングのローテーブルを端によけ、ピカタのケージを東側の部屋へ移動させる。

原付きの狼と、その後にすぐトラックが到着。搬入はてきぱきと終わった。洗濯機を回し、段ボールだらけのリビングで狼とパエリアを食べる。

荷解き。

目を離した隙に、ピカタがモンちゃん*1をかじった……葉っぱにホチキスのようなピカタの歯型があいていた。ピカタは狼の部屋を出禁にする。お互い(ピカタとモンちゃん)のため。

夜ご飯はUberのすた丼。お味噌汁だけ作る。

一日動き続けていた狼の電池が切れそう。

お風呂に入り、リビングにスペースを作り2人で寝ることにする。エアコンの風が私には寒く、普段寝る時間ではないのでなかなか眠れない。明け方、ピカタがちやんとチッコをしていて安心する。

 

7月11日月曜日

リビングで目覚める。寒いけれど羽毛布団は暑い。

朝ご飯に添えようと思っていた茹でブロッコリーは腐っていた。農家の孫として、食べ物を腐らせないようにすることだけはいつも気をつけていたのに……

洗濯、洗い物、荷解きの続き。狼は有給を取っている。私は夕方から出勤。

お昼ご飯は冷凍していたミートソースで、ミートソースごはん。(パスタが一人前しかなかったので、ごはん)茄子を焼いてのせる。パプリカの焼きマリネと。

私の部屋の寝る場所をとりあえず確保して、バタバタと出勤。

壊れかけのスマホはまた圏外になっている。

Eさんに昨日代わってくれたお礼を言う。猫好きのEさんはピカタのことが気になっていたらしく、引っ越しの物音に驚いていたけれど、おしっこもちゃんとしていて元気ですと伝えた。

今日も、レジ内のエアコンがとても寒い。外が暑ければ暑いほど、ここは寒くなる。体の芯まで冷やされていく。Mくんにクレジットや図書カードの点検を教える。Eさんは早上がりした。

閉店後、思いがけず猫の話で盛り上がる。店長とMくんと私で、猫の写真を見せあう。

電波が復活していた。狼がピカタのウンチを掃除してくれていた。洗い物もして、洗濯物もたたんで、お味噌汁も作っておいてくれている。

私が帰宅してすぐ、狼は就寝。一瞬会った時に、私の体があまりに冷たいので狼が驚いていた。

夜ご飯は狼のお味噌汁と、大葉のパスタ(鶏肉とトマト入り)。最近こればかり作って食べている。1時過ぎ。

資源ごみを縛って捨てに行く。冷えた体をお風呂で温める。

4時半頃、東側の部屋で就寝。狼が起きて支度をする音を聞き、眠りに落ちる。5時頃。

 

7月12日火曜日

ルームエアコンの起動で目が覚めた。10時少し前。

狼のお母さんからショートメールがあり、父と母の名前を教える。

バタバタと支度。洗濯物を取り込んでおく。お風呂掃除とピカタのトイレ掃除。

狼が持ってきた電子レンジを使っていたら急に動かなくなってしまった。時間がなくなり、大慌てで出勤……電車に間に合わなかった。遅れる連絡をする。出勤時刻の12時ぴったりに到着。

 

 ✻ ✻ ✻

 

電子レンジは、使い方がよく分かっていなかっただけで壊れていなかった。

昼夜すれ違う奇妙な数日間。日記はつけていなかった。私が帰宅する頃に狼はすでに寝ていて、狼が目覚める頃に私は眠りにつく。途切れがちな電波でのやり取りと、深夜に作り置くお味噌汁だけで微かな交信をしていた。

11年間アルバイトとして続けていた書店の夜番勤務の仕事も最終日を迎えた。(最終日のことを全然覚えていない。日記がないと、こんなにも思い出せないことに驚く)

 

 ✻ ✻ ✻

 

7月23日土曜日 

7時半起床。目玉焼きのっけごはんとにんじんしりしりの朝ご飯を2人で食べる。

よく晴れた暑い日。私はあくびが止まらない。いつもならまだ寝ている時間に、外へ。

区役所で婚姻の手続きをする。涼しい建物のなかで椅子に座って順番を待つあいだ、どうしてもあくびが出てしまう。私にとって重要だったのは狼が結婚しようと言い、「うんしよう!」と答えたあの瞬間で、婚姻届を出すことにあまり重みを感じられなかった。それでも今日から苗字が変わった。

コメダ珈琲でミックスジュースとフィッシュフライバーガーを食べた。

 

7月25日月曜日

5時に起床。お弁当を作り、夫を見送った。ソファで一休みすると、一斉に蝉が鳴き始める。朝が始まる瞬間を聞いた。

 

ピカタは段ボールだらけの部屋を楽しんでいる様子

 

*1:数年前のクリスマスに狼にプレゼントしたモンステラモンステラは猫にとって有害なシュウ酸カルシウムを含む

◆ プールの記憶

夏の夕方、私は6歳で、祖母が運転する車の後部座席に横になって寝ていた。目が覚めた時に少し汗をかいていたけれど、張りついた髪を払い寝返りをうてば、車のなかはそんなに暑くはなかった。祖母の新しい車はエアコンが効いているのかもしれないし、プールの後にシャワーも浴びてさっぱりしたばかりだからかもしれない。心地よく疲れた体をあお向けにして、私はさっきまでいた屋内プールの光景と、反響する音と、水や空気の温度を思い出していた。

そのホテルのプールは学校のプールのように体が縮みあがるような冷たさではなく、夏の熱を持った体にこころよい程度にひんやりとした温度だった。冷たすぎず温かすぎず、たくさん遊んでも暑くなることもなかった。水はきれいで、虫や葉っぱやその他正体不明のものが浮いていることもなく、笛や大きな声で急かされることもなく、ザラザラした固いプールサイドに体育座りをしなくてもよかった。つまりプールから憂鬱な要素が一切取り除かれた、天国のようなところだった。

泳ぐのは得意ではなかったが、水と遊ぶことは好きだった。水は体を包み込み、波打ち、弾けて、プールに落ちる水滴は水面に泡や波紋を作っては、また体を包む水と一体になった。そういうひとつひとつを好きなだけ、だた見ていても構わなかった。私はただ見ていることも好きだった。中庭の窓からの陽射しを受けて水面がきらきら光るのを、プールの底に引かれたラインの赤や青を、頭上に渡された連なる旗の色が水面に映るのを、それら全てがゆらゆら揺れるのを、ただずっと、飽きるまで眺めていてもいいのだ……そう思いながらも、何だかいてもたってもいられない気持ちになり、泳いだり潜ったりといった学校やスイミングスクールで強いられてやっているようなことまで、自ずとやり始めたくもなるのだった。泳ぎの得意な祖母は深い場所で気持ちよさそうに泳いでいる。後でビート板を取ってこよう。ビート板はたくさん用意されていて、どれもきれいだった。誰とも取り合わずに好きな時に取りに行けば良かった。プールサイドには妹を抱っこした母がいた。私はまるで内側からくすぐられたかのように何故だか笑いが込みあげてきて、くくくと声を出して笑う。プールサイドの母が笑い、抱っこされた妹もつられて笑う。祖母も笑っていた。笑い声が遠いような近いような場所で響く。記憶のなかみたいに。夢のなかみたいに……

車に揺られながら、ふとこの光景は今見ていた夢だったような気がしてきた。あのホテルのプールには去年の夏に行ったけれど、今年は行かれないと言われてがっかりしたのではなかったか。いや、それにしては水の感覚も温度も、あまりにも生々しかった。私があまりにがっかりしたので、やっぱり連れて行ってもらえることになったのだっけ……私は寝ぼけた頭を起こしよく考えようとして、そして、不意にあることを思いついた。このまま夢だったのか本当だったのか、分からなくしてしまおう。それはただの好奇心からの思いつきだった。あのプールは本物の記憶か、それとも私の頭のなかで作りあげた夢か。分からないままにするなんてこと、できるだろうか。私は注意深く意識のピントをずらし、揺れる車にぼんやりと身を任せ、さっきまでプールにいたような、そうではなく、あまりに行きたかったプールをただ夢に見てしまったような、どちらともつかない気持ちを保とうとした。そして、それは成功した。あれから30年ほどの月日が経ち、今ではあの時にホテルのプールに行ったのが本当だったのか、夢だったのか、もう全く分からないままになっている。ただ、あお向けになって車に揺られながら幸せな心地で、プールの光景をぼんやりと思い浮かべ、これを夢とも現実ともつかない特殊な記憶のポケットにしまっておこうと、強く決心したことだけを覚えている。

 

2023年7月16日 晴れ

 

7月1日〜9日 両家顔合わせから引っ越し前夜まで

2022年7月1日金曜日

13時〜18時、ファミレスで働く。

帰ってまた大葉たっぷりのパスタを作る。ベーコン、茄子、しめじも入れて。

ソファで寝てしまった。

明日の服にアイロンをかける。鞄の中身も準備しておく。

ヨーグルトにさくらんぼと刻んだアーモンドをのせて食べた。

 

7月2日土曜日 両家顔合わせ

目覚ましより先にピカタが起こしにきた。

洗濯。ほうれん草とチーズのオムレツ。しっかり身支度をする。

16時にルミネ新宿。狼と待ち合わせ。狼はスーツで私はワンピース。中川政七商店で一緒に「ごはん粒のつきにくい弁当箱」を見た。

auが通信障害で繋がらなくなっている。狼の家族はみんなauなのに、こんな日に限って。念のため狼のお母さんに私の連絡先を教えているが、私のスマートフォンは壊れかけで時々電波が通じなくなる時があるのだ。auではないのに、一人通信障害……そして狼はコンタクトがゴロゴロして痛い、私は歩くたび靴が脱げそう。

ドラッグストアでハードコンタクトの一時保存ケースと、靴に貼る滑り止めを買った。

そんなこんなで、私たちより両家の両親のほうが先に着いていた。

初めて会う、狼のお父さんとお母さん。目が、お母さんに似ている……でもお父さんにも似ているな……口はお父さんかな。どちらにも少しずつ似ているかも。

狼に似た(狼が似たのか)、お父さんとお母さんの顔を見るだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて知らなかった。

 

7月3日日曜日

昼はファミレス、夜は書店で働く。今日は一日中電波が繋がらなかった。昨夜、美濃吉でもらったお花をキッチンに飾った(ガーベラとスターチスは飾り、カスミソウは調べたら猫にとって危険らしく、心苦しいけれど処分した)。昨日の幸せな気持ちを思い出す。

 

7月4日月曜日 雨

久し振りのスープジャー、梅干しおにぎりとお味噌汁のお弁当。

今日も駅ビルの書店はエアコンががんがんでとても寒い。新しくOくんという新人さんが入っている。

夜ご飯はまた大葉のパスタ。茄子と鶏肉で。美味しかった。コンソメスープは薄味になってしまった。

資源ごみをまとめる。

 

7月6日水曜日

母と妹が来てくれて、私の荷物の大移動をする。(私は妹が使っていた部屋に移る)

途中から書店に出勤。

 

7月8日金曜日

ファミレス、とても忙しかった。17時50分で上がる。

帰ると母が来ていて、一緒に洗濯機の水抜きと排水溝掃除をする。(狼の洗濯機を使うことにしたので、この洗濯機は処分することになった)

そして喧嘩になる。どうしても浴室の水垢を掃除したい母。私がやる、と言ったら「あなたには無理」と言われてしまった……引っ越しの時、どうしていつもこうなるの? あなたには無理だから、と必ず母が登場し、そしていつも最後には「そんなに怒るならやってくれなくていいのに……」という禁句を私が口にしてしまい、喧嘩になるのだった。

パエリアを炊いて冷凍しておく。引っ越し後の忙しい日々にすぐ食べられるように。白ご飯も予約して寝る。

 

7月9日土曜日

母から、また「お風呂掃除が……」とラインが来ていた。

炊けた白ご飯を冷凍庫にたくさん蓄えて、新百合へ。狼の家に行くのもこれが最後。ジモティーでこれから引き渡す冷蔵庫を一緒に拭いた。

夜ご飯はおぼんで。(「おぼんdeごはん」のこと)

私は泊まらず家に帰り、ピカタのケージを動かして掃除、トイレ掃除、お風呂も少し掃除する。明日、狼がここへ引っ越してくる。

 

狼の家 引っ越し前日

 

6月22日〜30日 (情緒が)忙しい日々のメモのような日記

※ 皆で話し合い、ピカタと私はこのまま、狼がこの家へ引っ越してきて、妹は隣駅の実家へ移ることに決まった

 

2022年6月22日水曜日 

妹が来て(最近はもう実家にいる)泊まっている。

雨。お昼は大葉たっぷりのパスタ(オリーブオイル、にんにく、鷹の爪、たっぷりの刻んだ大葉、仕上げにお醤油を少し)。アイスラテ。

母に言われていたエアコンの設置部分の写真を送る。遅くなったので怒られる。

洗濯。妹が洗い物をやってくれた。

不安なことや分からないこと、考えたいことが多くあり、しばらく調べ物をする。

戸籍謄本取寄せの書類を書く。古い切手を使いきってしまおうと、50円や10円、2円切手などを組み合わせて貼っていく。鳥や花やうさぎの切手がたくさん並び可愛くなった。

前髪を切る。

返済のペースを変えることにしたので、奨学金の書類も書いた。また切手をたくさん貼る。水鳥や花や、おじさんたち。

夜ご飯は何でもありの具だくさんお味噌汁(ベーコン、にんじん、小松菜、ねぎ、少し残っていたキャベツ)とごはん。

ポストに出しに行く。鍵だけ持って傘さして。

炒り卵入りのおにぎりを夜食にした。明日の朝の分も作る。

 

6月24日金曜日

狼の家へ。引っ越しの手伝いに。

 

6月25日土曜日

夜ご飯は駅前のジョナサン。楽しかった。

 

6月26日日曜日

明日の早出に備えて洗濯、ごみ捨ての準備までしてから書店に出勤する。

 

6月27日月曜日

11〜16時 ファミレス。最近テレビで紹介された影響でとても忙しい。

18〜22時 駅ビルの書店。

昼間、母が家に来て狼の部屋になる部屋の、エアコンの設置工事に立ち会ってくれた。私が書店を辞めるまで、私と狼は同じ家で完全に昼夜が逆の生活を送ることになり、部屋を閉めきれることと、狼の部屋のエアコンは必須ということになった。結婚祝いで父がお金を出してくれた。ありがたいことであるのに、私がじっくり考えようとする前に周りだけがどんどん進んでいくように感じ、どうして皆がそんなに急いでいるのか分からないという気持ちになっている。

 

6月28日火曜日

昼はファミレス、夜は書店で働く。

ネット回線についての確認が遅れ、狼が怒っている。私も怒っていて、悲しい。

 

6月29日水曜日

母と待ち合わせて、駅ビルの2階のカフェで桃のスムージーを飲みながら、いろいろな話をする。ネット会社は狼の家で使っているものを引き継ぐことにしたため、今家で使っている回線を解約しなければならないが、解約に条件があり契約書が難しくて難航していること……契約者が母の名前になっていて、どうやら本人が電話しなければならないことなど。

家へ来て、母がD社へ電話してくれた。言葉巧みに不安になるようなことや、敢えて難しい話を並びたてられ(ているように見えた)、なかなか解約できない。数十分電話していた。母が可哀想になった。結局、いくつかのことを確認して後日また電話することになった。

2人ともすっかりお腹がすいて、母に大葉たっぷりのパスタを振る舞う。「美味しい。ママも今度家で作ろう」と母。よろこんでくれて嬉しかった。

妹の部屋を一緒に片付けた。妹が不要とよけたものを分別し、カーペットを捨てられるサイズになるよう縛る。

母は帰り、ソファで少し眠る。

深夜、何袋もゴミを出しに行く。

 

6月30日木曜日

ファミレスに出勤。

D社の解約の件で、狼と母との連絡を取り継ぐ。出勤前、今日の私の仕事の合間にそれぞれの言っていることを取り継ぐのは困難だと思い(狼に母のラインを教えようとしたがやり方が分からず)、狼と私と母をラインのグループにしてしまった。

休憩中、みんながイライラしてるように感じ、勝手に責められているように思いパーテーションに隠れて泣く。こんなことで結婚生活など上手くいくはずがないと暗い気持ちになる。私はインターネットが数日使えないくらいどうってことないと思っている(いざとなれば4Gで使えばいい)。狼には狼の理由があってWi-Fiが使えないことはとても困ることなのだろう。野球が観れないのはストレスなのかもしれないし、もっと必要不可欠な理由があるのかも。私の考えが普通ではないだけなのかもしれない。その後、狼がくれたラインは優しかった。自分自身をぐずっている子供のように感じる。

書店に出勤する。Uさん ※ 大学生の女の子 が手作りのプリザードフラワーと、前に話してくれたおすすめの美味しい蒸しチョコをくれた。

Gさん ※ 以前一緒に働いていた社員さん が来てくれてお祝いの言葉とお菓子をくれた。

心のこもったプレゼントを抱えて、幸福と感謝の思いにひたひたと満たされる。溢れそうに。情緒が忙しい。

 

 

◆ 恐竜図鑑と恐竜の本

※ 好きなものを熱く語りすぎる癖があるので恐竜について書くことを控えていたのですが、先日ふと本棚の恐竜の本や恐竜図鑑を開いていて、宝物のようなお気に入りの本たちを紹介したくなったので、書いています。

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例えばどこかで「恐竜」という文字を見つければ、私の心はたちまちにときめく。「恐」という字を見ただけで(「恐ろしい○○」とか「恐縮」とか全く関係のない言葉でも)、うっかり心が躍ってしまうことさえあり、だから恐竜図鑑や恐竜の本はそれはもう、ときめきの宝庫なのだった。

もちろん文字だけではなく、絵のもつ力は絶大だ。恐竜を実際に見た人は存在しない、無論、写真も存在しないので、私たちは誰かが描いた絵や、作った模型などから恐竜を見るしかない。だから恐竜の絵は大変重要なものであると同時に、大変不確かなものなのだ。その不確かさは、恐竜という言葉やその絵に心を惹かれる要因のひとつだと思う。

私の大好きな恐竜の本のひとつ、『きょうりゅうたち』*1は1976年に出版されたもので、がまくんとかえるくんシリーズで有名なアーノルド・ローベルが絵を描いる。

 

ゴジラのような立ち姿の、ひと昔前のティラノサウルス


恐竜というのは実直に丁寧に描かれればおのずと魅力と迫力が出るはずの生き物だと思う。今にも襲いかかってくるようなポーズや、ギラついた目に開いた口からの粘りけのある唾液、などの演出をしなくても。アーノルド・ローベルの描く、この小さな本のなかにみっちりつまった恐竜たちは、そのことを証明している。ティラノサウルスはこの本が出た当時の定説だった直立に近い尻尾を引きずるポーズをしており、ブラキオサウルスはまだ水の中にいるのだが、その絵はこの時代の人々の頭のなかにいた恐竜として、充分に存在感がある。(そもそも恐竜は現存しない以上人々の頭のなかにしか存在せず、こういう今の定説と違う絵を見るとそのことが浮き彫りになって、私はより一層わくわくする)そして彼が描く生き物独特の、人間臭さも哀愁もどこかユーモラスな感じもちゃんとあって、なんとも味わいのある恐竜の本なのだ。

もうひとつの私の“ときめきの宝庫”は、大日本絵画のかがく・しかけえほん『恐竜』*2。これは学生の頃に古本屋で出会った。アーノルド・ローベルの恐竜たちは魅力的だが、恐竜たちのいた時代の空気はこんなにひんやりと静謐ではなかっただろうな、と思う。これは彼の絵の特徴で好きなところでもあるのだが、恐竜たちがいた時代の空気を味わいたいなら、私はこちらのしかけ絵本をめくる。

 

表紙は、カスモサウルスの母子


こちらの絵も必要以上の演出をしないが密度のあるいい絵で、どのページにも素晴らしい構成でぎっしりと恐竜たちがつめ込まれている。そしてそこにある空気も密度が高く、熱い。当時の植物もふんだんに描かれており、めくるたびに広がる(そして飛び出す)恐竜たちの世界にため息が出る。恐竜が好きで、紙の本が好き、という人にはたまらない一冊なのではないだろうか。ちなみに発行日は1991年となっていて、ティラノサウルスの姿勢はゴジラスタイルのままだった。

 

めくるたび、かさこそと紙の音とともに恐竜たちの世界が広がる

 

以上が私のお気に入りの恐竜の本の一部で、でもそういった本とは別に、やはり恐竜の読み物といえば恐竜図鑑は欠かせないのだった。私が持っているのは数年前に買った小学館の図鑑NEOの『新版 恐竜』*3で、新版の発行は2014年なのでそこそこに新しい情報(ティラノサウルスの羽毛説など。現在はまたうろこ肌説が有力らしい)もあり、ティラノサウルスブラキオサウルスも首を水平に近づけたスタイルで描かれている。「どんどん変わる恐竜のすがた」として、ティラノサウルスの復元画の変遷が特集されていたりもする。そして、何といっても図鑑のいい点は恐竜の名前がたっぷりのっていることで、手に入れることなど不可能で実物を見ることさえ叶わない恐竜たちを、名前を覚えることによってほんの少し自分のものにできる気がする(記憶力が悪く、すぐに忘れてしまうのだけれど)。巻末にある「恐竜に会える博物館」にあげられている「福井県立恐竜博物館」へ、遅くなった新婚旅行も兼ねて今年秋にやっと行ける予定で、今からわくわくしている。

 

2023年6月22日木曜日 くもりのち雨

◆ 友達がいなくても

私たち夫婦は子供をもうける予定はないのですが、仮にもし子供がいたら、もしくはいつか何らかの形で子供と深く関わることがあったら、私は「友達はいなければいなくても大丈夫だし、無理に人間の友達にこだわることはないよ」ということを伝えたいような気がします。それは単に自分が子供の頃に誰かに言ってほしかった言葉、というだけのことかもしれませんが。

私自身は子供の頃、友達はいなければならない(もちろん、人間の友達が)と脅迫観念のように思い込んでいて、クラス替えの後や、転校で(転勤族だったため4回の転校がありました)新しいクラスに入る時、「もし友達ができなければ、生きていけない」という深刻さで挑んでいました。友達がいないことは恥ずかしい、私に友達ができなければ両親はがっかりする、友達がいないということは私に何か問題があるということの証明になってしまう……と、今考えるとそのようなことを何の疑いもなく思っていました。それはもしかして、母が娘を思う気持ちから私にかけていた、「ただお友達と元気で遊んでいてくれたら、ママはそれだけでいいからね」という言葉があったからかもしれませんが、そうでなくても、何だか学校という場所には「友達はいなければならず、いないと問題とされる」空気が漂っていて、だから程度の差はあっても、多くの子供が同じように感じていたように思います。

そんなふうに深刻に捉えすぎていたためか、クラス替えや転校の度に学校に行くことへの緊張が強くなり、学校では声がかすれて小さな声しか出せないようになり、ほとんど喋れなかった時期もあり、そんな時はもちろん友達らしい友達もいないのですが、相変わらず「友達はいなければならない」という強迫観念だけはあるので、つらい日々でした。つまり、私の今の状態は恥ずかしい、両親が知ればがっかりする、私には何か問題があるのだ……と思っていました。学校ではより小さく、なるべく目立たないように過ごし、家では家で、家族には友達がいないことを悟られないように、少し嘘をつかなければなりませんでした。家では問題なく喋ることができるので、嘘はペラペラと口から出てきて、こんな私を学校のみんなが見たらどう思うのだろう、私は家でも学校でも嘘をついている、と暗い気持ちになりました。

あの頃の私に声をかけるならこうでしょうか「友達がいないことは恥ずかしいことじゃないよ。恥ずかしいことは、もっと他にあるよ」それともこう?「そんなことよりもっと本を読みなよ!あなたは本当は友達とプリクラを撮るより、本を読むことのほうが好きなはずだよ」……そんなことをいつも考えていたわけではないのですが、その後、友達もできて、大人になって、あの頃のことは記憶の片隅に追いやられた段になって、ようやく答えのようなものを見つけました。偶然でした。それは本のなかにありました。

去年のことです。その日は私にしては珍しく、アルバイトを病欠しました*1。向かう途中の電車の中で“迷走神経反射”の症状になり、出勤先へ連絡をして駅の救護室で休ませてもらった後、自宅に帰るところでした。駅構内の書店で、なんとなく今読むべき本のような気がして手に取ったのが、『愛のエネルギー家事 すてきメモ303選』*2という賀茂谷真紀さんの本でした。読むべき本だと思ったのは、自分の体を労わるようなことが書いてありそうだったからです。

家に帰り着いてソファで横になり、さっそく読みました。暮しの手帖社から出ている『エプロンメモ』や『すてきなあなたに』のように、暮らしの知恵や考え方などの、ほんの短いエッセイがたくさん(303個)並んでいる本です。一つ一つ、これは真似できそう、これは私には違うかも、これはいいかも、などと思いながら読んでいきました。休むことへの肯定的な言葉が多くあり、病欠した私の罪悪感はやわらいで、それだけでも大いに救われました。

2章は「子どもの手当て」というタイトルで子どもに関する項目が続き、私はその時すでに子供を持たない人生を想定していましたが、子供には興味がありスラスラ読めたので飛ばさずそのまま読んでいきました。そのなかに「学校に行きたくない」という項目があり、

学校に行きたくないと言われたら、「よくぞ言ってくれた」とほめましょう。「うんわかった。お休みしよう」と即答しましょう。

という出だしを読んだ時、私の胸が少し疼くのを感じました。母にそう言ってほしかったのではありません。もしかしたらそうかもしれませんが、それ以前に、私は「学校に行きたくない」と言えませんでした。理由を聞かれるのが怖くて。

欲しかった言葉はもっと後のページに、第3章「少し疲れたときに」のなかにありました。それは、挿し絵もなく短い言葉でひっそりと書いてありましたが、私には光って見えました。「人嫌いになる日」という項目でした。

191.人嫌いになる日

いつもがんばっていると、人嫌いになる日があります。だれにもやさしくできない日があるのは、悪いことではなくよいことです。

ミツバチ、鳥、魚、土、ミミズ、芝生、花、樹木、太陽、空気、楽器、絵画。そういうものと遊んでください。

人間以外の何かとたっぷり時間をすごせば、また元気がわいてきます。

この項目を読んだ時、もしそうなら、人生はちゃんと明るく、つらいことはそんなには多くないのかもしれない、という気持ちになりました。今では私にも大切な友達がいますが、友達といる時に心から楽しめない時があったり、一人の時間を多く取りたいと思ってしまうことを、後ろめたく感じていました。でもそれをいいと言ってくれるのなら。それでもいい、草木や太陽、楽器や絵画、本や、折り紙や、牛乳をレンジでチンすると膜が張るのはなんで?と何かを不思議に思うことも、自分だけの空想のお話を作ることも、母のタンスに入って服の匂いをかぎながら暗闇のなかでただじっとしていることも……どれも全部、立派な友達だとあの頃に大人たちが断言してくれていたら、私はもっと安心して過ごせたかもしれません。そしてそのうちに、友達がいないことは恥ずかしいからとか、両親をがっかりさせたくないからという理由ではなく、ただそのままの気持ちで人間とも友達になってみたいと思えたかもしれません。あの頃のカチコチになった私の心に、そういった言葉がすんなり染み込んだかどうか、今となっては分かりません。過去を変えたいと思っているわけでもないのですが、例えばもし自分に子供がある人生だったら、そんなことを伝えたいような気がしています。

 

2023年6月11日 雨

*1:4月10日の日記に、この日のことが書いてあります。(本の内容についてはあまり触れていません)

*2:愛のエネルギー家事 すてきメモ303選(すみれ書房)加茂谷 真紀,本田亮 |Amazon

◆ 名前を知ること(夾竹桃について)

去年のこの時期は、日記はつけたりつけていなかったり(つけていてもメモ程度のものだったり)するので、今日も去年の日記はありません。以前に目標を立てたとおり、日記ではなく書きたいことを自由に書いてみようと思います。

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例えば木を見て花を見て、鳥を見て橋を見て川を見て、私はすぐにその名前を知りたくなってしまう。ただ、そう思うようになったのは大人になってからなので、私にはまだまだ身近な植物なのに名前を知らないということが、よくある。去年の日記のどこかにも書いたが、名前を知ると見えてくるようになるから本当に不思議。

夾竹桃は、3、4年前にその名前を知った。駅名を覚えていないのだが、たしか小田急線のどこかの駅だった。普段は通らない駅だったはずで、結婚する前の夫の家からの帰りに、乗る電車を間違えたか乗り過ごしたかで戻っている途中だったかもしれない。夜だった。電車の座席から、開いたドアの向こう、駅のホーム越しに鮮やかなピンクと、白の花が見えた。花は大きく、鮮やかで、暗がりのなかでわずかな光をあつめて発光しているかのような、妖しいくらいの迫力をもって目に映った。私はすいた電車に座ってうとうとしていたところで、ぼうっとそれを見て、魅了されたようになった。ドアから入る夜風が気持ちよかった。頭が冴え始めたころにはドアが閉まり電車は発車していた。

もうかなり遅い時間で、もう一度戻るわけにもいかず、でももう今後なかなか行かないであろう駅なのだ。その駅が遠のいていくなか、どうしてもその花の名前が知りたくなった。欲しくなった、と言っていいくらいに。

携帯から「夏」「大きい」「ピンクの花」などの言葉で検索すると、立葵日々草などと並んで、「夾竹桃」の名前と写真を見つけた。一瞬のことだったが記憶に残った花や葉の形から、これだと検討をつけた。家に帰ってさらに調べると夾竹桃には毒性があり、食べたり、切り口に触ったりしてはいけないだけではなく、生木を燃やした煙まで有毒であるという。妖しげな魅力はそのためだったのだろうか。そして夾竹桃は非常に強い植物で、広島市で原爆投下の後いち早く咲いた花が夾竹桃だったため、復興のシンボルとされた、とあって、さらに、「神奈川県川崎市では、長年の公害で他の樹木が衰えたり枯死したりする中で、キョウチクトウだけはよく耐えて生育したため、現在に至るまで、同市の緑化樹として広く植栽されている」*1とあり、きっとあれは夾竹桃だったに違いないと思った。小田急線のあの辺りは川崎市だったはずだから。

「分かる」ことは「分ける」こと、と言うのは本当にそうだ。その夏から私はたくさんの夾竹桃を見ることになった。今までは「植物」とか「ピンクの花」とぼんやり認識する程度であったに違いなく、目に入ってこなかった。それなのにこの夏は少し歩けば「あ、夾竹桃」とすぐに夾竹桃を見つけるのだった。いつもの駅からの帰り道にも、夾竹桃はあった。立派なお庭をもつ皮膚科の角である。ここのお庭は春先には梅が咲き、秋には金木犀が、冬には椿が、と垣根の外から眺めて楽しんでいたにも関わらず……夏の夾竹桃だけは、名前を知らないばっかりに素通りしていたとは。なんと、家のベランダの下にも、夾竹桃は咲いていた。今では洗濯物を干しながら咲き具合を見るのが夏の楽しみになっている。

名前を知らなかったとしても、ベランダの下の夾竹桃が、W医院さんのお庭の角の夾竹桃が、あの駅で見た夾竹桃ほどの魅力をもって目に入れば、きっと認識しただろう。その時から、名前を知ろうとしただろう。駅のホームの向こうにパノラマのように一面に、満開に咲いていたこと、夾竹桃としては少し珍しい白い花と交互に並んでいたこと、眠くて、夢と現実のあいだのような場所から見たこと……などが重なり、一層きれいに見えたのだと思う。そのおかげで、夾竹桃という名前は私に特別なインパクトをもって刻まれてしまった。

あれほどきれいだと思う夾竹桃にはその後出会っていないのだが、夾竹桃は好きな花の一つになった。よく見るようになって気づいた夾竹桃の好きなところは、6月頃から咲き始めて9月、10月になるまでずっと咲いていてくれること。夏の終わりに雨が続いたりして萎れかけても、また復活することもあり、強い、と感心する。そのしたたかさに、敬意を払いたくなる花でもある。今年もベランダの下の夾竹桃が咲き始めている。

 

2023年6月6日火曜日 くもりのち小雨