去年の日記帳

1年前の日記を投稿しています ◆ 時々雑記

◆ 恐竜図鑑と恐竜の本

※ 好きなものを熱く語りすぎる癖があるので恐竜について書くことを控えていたのですが、先日ふと本棚の恐竜の本や恐竜図鑑を開いていて、宝物のようなお気に入りの本たちを紹介したくなったので、書いています。

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例えばどこかで「恐竜」という文字を見つければ、私の心はたちまちにときめく。「恐」という字を見ただけで(「恐ろしい○○」とか「恐縮」とか全く関係のない言葉でも)、うっかり心が躍ってしまうことさえあり、だから恐竜図鑑や恐竜の本はそれはもう、ときめきの宝庫なのだった。

もちろん文字だけではなく、絵のもつ力は絶大だ。恐竜を実際に見た人は存在しない、無論、写真も存在しないので、私たちは誰かが描いた絵や、作った模型などから恐竜を見るしかない。だから恐竜の絵は大変重要なものであると同時に、大変不確かなものなのだ。その不確かさは、恐竜という言葉やその絵に心を惹かれる要因のひとつだと思う。

私の大好きな恐竜の本のひとつ、『きょうりゅうたち』*1は1976年に出版されたもので、がまくんとかえるくんシリーズで有名なアーノルド・ローベルが絵を描いる。

 

ゴジラのような立ち姿の、ひと昔前のティラノサウルス


恐竜というのは実直に丁寧に描かれればおのずと魅力と迫力が出るはずの生き物だと思う。今にも襲いかかってくるようなポーズや、ギラついた目に開いた口からの粘りけのある唾液、などの演出をしなくても。アーノルド・ローベルの描く、この小さな本のなかにみっちりつまった恐竜たちは、そのことを証明している。ティラノサウルスはこの本が出た当時の定説だった直立に近い尻尾を引きずるポーズをしており、ブラキオサウルスはまだ水の中にいるのだが、その絵はこの時代の人々の頭のなかにいた恐竜として、充分に存在感がある。(そもそも恐竜は現存しない以上人々の頭のなかにしか存在せず、こういう今の定説と違う絵を見るとそのことが浮き彫りになって、私はより一層わくわくする)そして彼が描く生き物独特の、人間臭さも哀愁もどこかユーモラスな感じもちゃんとあって、なんとも味わいのある恐竜の本なのだ。

もうひとつの私の“ときめきの宝庫”は、大日本絵画のかがく・しかけえほん『恐竜』*2。これは学生の頃に古本屋で出会った。アーノルド・ローベルの恐竜たちは魅力的だが、恐竜たちのいた時代の空気はこんなにひんやりと静謐ではなかっただろうな、と思う。これは彼の絵の特徴で好きなところでもあるのだが、恐竜たちがいた時代の空気を味わいたいなら、私はこちらのしかけ絵本をめくる。

 

表紙は、カスモサウルスの母子


こちらの絵も必要以上の演出をしないが密度のあるいい絵で、どのページにも素晴らしい構成でぎっしりと恐竜たちがつめ込まれている。そしてそこにある空気も密度が高く、熱い。当時の植物もふんだんに描かれており、めくるたびに広がる(そして飛び出す)恐竜たちの世界にため息が出る。恐竜が好きで、紙の本が好き、という人にはたまらない一冊なのではないだろうか。ちなみに発行日は1991年となっていて、ティラノサウルスの姿勢はゴジラスタイルのままだった。

 

めくるたび、かさこそと紙の音とともに恐竜たちの世界が広がる

 

以上が私のお気に入りの恐竜の本の一部で、でもそういった本とは別に、やはり恐竜の読み物といえば恐竜図鑑は欠かせないのだった。私が持っているのは数年前に買った小学館の図鑑NEOの『新版 恐竜』*3で、新版の発行は2014年なのでそこそこに新しい情報(ティラノサウルスの羽毛説など。現在はまたうろこ肌説が有力らしい)もあり、ティラノサウルスブラキオサウルスも首を水平に近づけたスタイルで描かれている。「どんどん変わる恐竜のすがた」として、ティラノサウルスの復元画の変遷が特集されていたりもする。そして、何といっても図鑑のいい点は恐竜の名前がたっぷりのっていることで、手に入れることなど不可能で実物を見ることさえ叶わない恐竜たちを、名前を覚えることによってほんの少し自分のものにできる気がする(記憶力が悪く、すぐに忘れてしまうのだけれど)。巻末にある「恐竜に会える博物館」にあげられている「福井県立恐竜博物館」へ、遅くなった新婚旅行も兼ねて今年秋にやっと行ける予定で、今からわくわくしている。

 

2023年6月22日木曜日 くもりのち雨