去年の日記帳

1年前の日記を投稿しています ◆ 時々雑記

◆ 友達がいなくても

私たち夫婦は子供をもうける予定はないのですが、仮にもし子供がいたら、もしくはいつか何らかの形で子供と深く関わることがあったら、私は「友達はいなければいなくても大丈夫だし、無理に人間の友達にこだわることはないよ」ということを伝えたいような気がします。それは単に自分が子供の頃に誰かに言ってほしかった言葉、というだけのことかもしれませんが。

私自身は子供の頃、友達はいなければならない(もちろん、人間の友達が)と脅迫観念のように思い込んでいて、クラス替えの後や、転校で(転勤族だったため4回の転校がありました)新しいクラスに入る時、「もし友達ができなければ、生きていけない」という深刻さで挑んでいました。友達がいないことは恥ずかしい、私に友達ができなければ両親はがっかりする、友達がいないということは私に何か問題があるということの証明になってしまう……と、今考えるとそのようなことを何の疑いもなく思っていました。それはもしかして、母が娘を思う気持ちから私にかけていた、「ただお友達と元気で遊んでいてくれたら、ママはそれだけでいいからね」という言葉があったからかもしれませんが、そうでなくても、何だか学校という場所には「友達はいなければならず、いないと問題とされる」空気が漂っていて、だから程度の差はあっても、多くの子供が同じように感じていたように思います。

そんなふうに深刻に捉えすぎていたためか、クラス替えや転校の度に学校に行くことへの緊張が強くなり、学校では声がかすれて小さな声しか出せないようになり、ほとんど喋れなかった時期もあり、そんな時はもちろん友達らしい友達もいないのですが、相変わらず「友達はいなければならない」という強迫観念だけはあるので、つらい日々でした。つまり、私の今の状態は恥ずかしい、両親が知ればがっかりする、私には何か問題があるのだ……と思っていました。学校ではより小さく、なるべく目立たないように過ごし、家では家で、家族には友達がいないことを悟られないように、少し嘘をつかなければなりませんでした。家では問題なく喋ることができるので、嘘はペラペラと口から出てきて、こんな私を学校のみんなが見たらどう思うのだろう、私は家でも学校でも嘘をついている、と暗い気持ちになりました。

あの頃の私に声をかけるならこうでしょうか「友達がいないことは恥ずかしいことじゃないよ。恥ずかしいことは、もっと他にあるよ」それともこう?「そんなことよりもっと本を読みなよ!あなたは本当は友達とプリクラを撮るより、本を読むことのほうが好きなはずだよ」……そんなことをいつも考えていたわけではないのですが、その後、友達もできて、大人になって、あの頃のことは記憶の片隅に追いやられた段になって、ようやく答えのようなものを見つけました。偶然でした。それは本のなかにありました。

去年のことです。その日は私にしては珍しく、アルバイトを病欠しました*1。向かう途中の電車の中で“迷走神経反射”の症状になり、出勤先へ連絡をして駅の救護室で休ませてもらった後、自宅に帰る途中でした。駅構内の書店で、なんとなく今読むべき本のような気がして手に取ったのが、『愛のエネルギー家事 すてきメモ303選』*2という賀茂谷真紀さんの本でした。読むべき本だと思ったのは、自分の体を労わるようなことが書いてありそうだったからです。

家に帰り着いてソファで横になり、さっそく読みました。暮しの手帖社から出ている『エプロンメモ』や『すてきなあなたに』のように、暮らしの知恵や考え方などの、ほんの短いエッセイがたくさん(303個)並んでいる本です。一つ一つ、これは真似できそう、これは私には違うかも、これはいいかも、などと思いながら読んでいきました。休むことへの肯定的な言葉が多くあり、病欠した私の罪悪感はやわらいで、それだけでも大いに救われました。

2章は「子どもの手当て」というタイトルで子どもに関する項目が続き、私はその時すでに子供を持たない人生を想定していましたが、子供には興味がありスラスラ読めたので飛ばさずそのまま読んでいきました。そのなかに「学校に行きたくない」という項目があり、

学校に行きたくないと言われたら、「よくぞ言ってくれた」とほめましょう。「うんわかった。お休みしよう」と即答しましょう。

という出だしを読んだ時、私の胸が少し疼くのを感じました。母にそう言ってほしかったのではありません。もしかしたらそうかもしれませんが、それ以前に、私は「学校に行きたくない」と言えませんでした。理由を聞かれるのが怖くて。

欲しかった言葉はもっと後のページに、第3章「少し疲れたときに」のなかにありました。それは、挿し絵もなく短い言葉でひっそりと書いてありましたが、私には光って見えました。「人嫌いになる日」という項目でした。

191.人嫌いになる日

いつもがんばっていると、人嫌いになる日があります。だれにもやさしくできない日があるのは、悪いことではなくよいことです。

ミツバチ、鳥、魚、土、ミミズ、芝生、花、樹木、太陽、空気、楽器、絵画。そういうものと遊んでください。

人間以外の何かとたっぷり時間をすごせば、また元気がわいてきます。

この項目を読んだ時、もしそうなら、人生はちゃんと明るく、つらいことはそんなには多くないのかもしれない、という気持ちになりました。今では私にも大切な友達がいますが、友達といる時に心から楽しめない時があったり、一人の時間を多く取りたいと思ってしまうことを、後ろめたく感じていました。でもそれをいいと言ってくれるのなら。それでもいい、草木や太陽、楽器や絵画、本や、折り紙や、牛乳をレンジでチンすると膜が張るのはなんで?と何かを不思議に思うことも、自分だけの空想のお話を作ることも、母のタンスに入って服の匂いをかぎながら暗闇のなかでただじっとしていることも……どれも全部、立派な友達だとあの頃に大人たちが断言してくれていたら、私はもっと安心して過ごせたかもしれません。そしてそのうちに、友達がいないことは恥ずかしいからとか、両親をがっかりさせたくないからという理由ではなく、ただそのままの気持ちで人間とも友達になってみたいと思えたかもしれません。あの頃のカチコチになった私の心に、そういった言葉がすんなり染み込んだかどうか、今となっては分かりません。過去を変えたいと思っているわけでもないのですが、例えばもし自分に子供がある人生だったら、そんなことを伝えたいような気がしています。

 

2023年6月11日 雨

*1:4月10日の日記に、この日のことが書いてあります。(本の内容についてはあまり触れていません)

*2:愛のエネルギー家事 すてきメモ303選(すみれ書房)加茂谷 真紀,本田亮 |Amazon