去年の日記帳

1年前の日記を投稿しています ◆ 時々雑記

9月8日〜10日 ツユクサ 小三治さんの顔 日曜日の散歩 

2022年9月8日木曜日 雨

窓からの風が涼しい。朝、ツユクサが咲いている道を走る。せっかく髪を切りたてなのに雨でぼさぼさ。

10時〜14時、ファミレスで働く。帰りの電車はぐっすり眠り、家の最寄駅で目が覚めて降りる時、いつも凄く疲れている。買い物をするうちに少し元気になる。スーパーの店内をまわりながら今晩の献立を考える。帰り道にはツユクサはしぼんでいる。

今日は、しらす丼(きざみ海苔、山盛りのしらす大根おろし、大葉)、かぼちゃのそぼろ煮、豆苗の玉子炒め、トマト2切れ、お味噌汁(茄子、しめじ、ねぎ)

食後に夫が淹れてくれたコーヒーと、チョコレートを食べる。

 

9月10日土曜日 

Pちゃんと上野の国立科学博物館で「化石ハンター展」を見た。ロイ・チャップマン・アンドリュースによるゴビ砂漠での恐竜の化石発掘から、チベットの気候に適応した生き物たちのこと(アウト・オブ・チベット説の紹介)まで。チベットのコーナーにはチベットサイの親子の復元模型や、チベットの環境に適応したヤギの仲間(バーラル)の剥製などが展示されていた。このバーラル、人の顔みたいで、誰かに似ている……と考えながら見ていると、去年の秋頃に亡くなった落語家の柳家小三治さんに似ているのだと思いあたった。長年、小三治さんのファンだったPちゃんも同じように思い、2人して懐かしいような、嬉しいような、ほんの少し悲しいような気持ちで見ていた。バーラルは小三治さんの顔で笑い、今にも喋りだしそうだった。Pちゃんが写真に撮っている。

 

「化石ハンター展」に展示されていた、バーラルの顔

 

お土産売り場で、Pちゃんがチベットサイの子供(公募により「ちべたん」と名前がついている)のぬいぐるみを欲しそうにしていたので誕生日の近かったPちゃんにプレゼントした。

それから歩いて浅草の「ポルトガル食房 Giro」を目指す。夜からはHちゃんも合流して3人でポルトガル料理を食べることになっている。

Hちゃんと2年半振りに再会。おしゃべりに花が咲き、ゆっくりとコースを食べる。シーフードが中心でどれも美味しい。いちばん感動したのは自家製のパンだった。美味しかった……いい匂いで。2人からお花をもらい結婚をお祝いしてもらった。いつの間にか4時間という時間が経っていた。まさかそんな時間が経っていたとは思わず、携帯も見ていなかったので夫を心配させてしまっていた。

外に出るとスカイツリーのすぐ上で満月が光っていた。*1そばの明るい星は、アプリで調べると木星と出て、Pちゃんが喜ぶ。最近見ている占いで木星はPちゃんにとって重要な意味を持つらしい。

暗くなった浅草寺を通って、おみくじを引いていく。おみくじのところに明かりが灯っている。末小吉だった。2人は凶。ここのおみくじは厳しいと有名なのだそうだ。

23時過ぎに帰宅。ピクルスの空き瓶に花束を飾った。

 

9月11日日曜日

洗濯物を干して、出発。

夫と、いつもコーヒー豆を買っている駅の近くのカフェでブランチ。夫はジェノベーゼ(もちもちなパスタ)、私はキッシュ。

それから電車で南大沢へ。

駅前の中古車屋を外から覗いてみたが、中古にしては全体に高めのお値段だった。最近、中古の安い軽自動車を買うことを2人で考えている。

長池公園を散歩する。トンボがたくさん飛んでいる。銀色に青が光るトンボ。時々赤いトンボも。池にはアメンボがたくさんいた。

後ろの、野性的な池の周りを一周する。虫が多くて困った。この池の主かのような、異彩を放つ真っ白に輝く鯉を見た。“2018年10月の台風による倒木”にのぼって甲羅を乾かしている亀を見た。カルガモを1羽だけ見た。蒼いドングリがたくさん落ちていた。

それから、この長池公園から京王堀之内まで続く水路に沿った遊歩道を歩く。(水路や道が好きな夫が見つけ、以前から歩きたいと言っていた)日陰は涼しく、日が照ると暑かった。緑の多い箇所も町なかのような箇所もあり、小さな中古車屋を見かけて、覗いてみたりした。

京王堀之内にて。サイゼリヤに入りコーヒーゼリーを食べようと思ったら、コーヒーゼリーはリニューアルされてしまっていて思っていたのではなかった。たくさん歩いた脚を休ませつつ、間違い探しをする。電車に乗って帰る。

夜ご飯は簡単に、大盛りの豚丼と、白菜のお味噌汁。食後に夫が淹れたコーヒー。お花の水換えをする。鈴虫の音。

 

*1:この日は2022年の中秋の名月でした

8月27日〜31日 伊豆帰りの両親 秋の風 新婚という響き

2022年8月27日土曜日

朝ご飯は昨日の夜とほとんど同じ。お刺身こんにゃく(酢味噌)、にんじんのきんぴら、昨日のお味噌汁(鶏、にんじん、チンゲンサイ、ねぎ)

昼頃、伊豆帰りの父と母が車でうちへ寄り、お土産をくれて、ついでがあるからと粗大ごみを引き取ってくれた(ずっと廊下に積まれていた電子レンジとトースターと炊飯器を)。我が家は車がないのでとても助かった。

夕方に電話があり、突然、両親と夫と4人でお寿司を食べに行くことに。伊豆旅行では車なのでお酒が飲めなかったのもあり、父が夫とお酒を飲みたがったようだ。私と母は、あまりお酒が飲めない。

父は酔っぱらっていろいろ語っていた。夫と野球の話ができて嬉しそうだった。

父と母と別れた後、夫と二人で夜の散歩をした。久し振りの散歩。酔っぱらって上機嫌な夫と。

秋の虫の声が大きい。川の近くは風が吹いていて気持ちがいい。暗がりのなかでキバナコスモスが咲いている。何かしらの惑星が一つ光っている。

冷たくて甘くて酸っぱいものが食べたくなり、帰りにコンビニの前を通る時「アイス買っていこう!」と誘い、一つずつアイスを買った。私はレモネードアイスバー、夫はチョコモナカジャンボ

まさに今欲しかった味で、充たされた。夫はソファで寝てしまった。

 

8月28日日曜日 くもりのち雨、のち晴れ

夫はやっぱりちょっと二日酔いになった。行く予定だったラ・オハナは延期にして、ずっと冷凍してあった鱈(いつから……?)をフライパンで塩焼きにして、お味噌汁(茄子、ねぎ、わかめ)とちりめんじゃこの朝食。

洗濯。

蒸し暑いからエアコンをつけようとしたら、メーターボックスの荷物を取りに行っていた夫が「外が涼しい」と言ったので、窓を開けることにした。

涼しい。秋の風だ……! 鳥のきれいな声がする(最近よく聞く)。調べたら、鳴き声が近いのはメジロだった。メジロは何となく春のイメージだが、「繁殖期(夏)が終わると市街地に出てくる」らしい。山から戻って来たのだろうか。

夫はすっかり元気になり、お腹がすいたと言う。昨日、母に大量のバジルもらったので、バジルのパスタを調べて作る。パプリカもたくさんもらったので同時進行でパプリカの焼きマリネも作る。

パスタは少し麺がくっついた感じになってしまい、もう少し茹で汁を多めにとっておいてしっとりさせたかったなぁ、などと反省を述べていると「茹で汁というか、麺は基本的に全部の用意がととのってから茹でて……」云々と夫がアドバイスをしてくれたのだが、それを聞いているうちに一生懸命作った疲れがどっと襲ってきて私は無口になってしまった。大量のバジルの葉っぱを茎と分け、洗い、水気を切って、「オリーブオイルをかけながらペースト状になるまで刻む」というのはなかなかの手間だった。全部終わってから茹でればいいのはそれはそうだろうけれど、お腹をすかせた夫のために早く作ろうとした結果なのに。

食後、私は部屋に引っ込みピカタと寝転ぶ。私が家事を好きだったのは一人で好き勝手にやっていたからだったのだ。要領も悪ければ人の世話を焼くのも苦手なので、主婦には向いていないのだろう……と、もう何度目かの悲しい結論にいたった。

気を取り直して、自分の部屋を見回して少しずつ整理した。それから長年、何となく嫌だった白くて四角い、シュッとしたスタイリッシュすぎる鉢を捨てることにした。

朝行かなかった分、夜は外食しようと提案する。近隣の駅のジョナサンまで。デザートも食べて、駐車場のそばで眠るヤギを見て帰った。鈴虫の声。

 

8月31日水曜日 晴れ 

まだ夏は残っていたのか……という暑い一日。

今日はファミレスの仕事がお休みで、部屋を片付け始めたら、前の部屋で私が頑張っていた記憶(メモやノートなどから)がよみがえってきた。置き去りにされていたというか、忘れられていたというか。ブツッと切られたままの。

思っていたより早くに夫が帰って来てしまい、私はお風呂にはいっていて、夕ご飯も何もできていなかったので夫は不機嫌に。私は何もかもが悲しくなって泣いた。新婚という幸せでなければならないような響き、子供もなく仕事も半日しかしていないというのにどうしてか家事がきついこと、夫の不機嫌な顔、お化粧していないボサボサな姿ばかり見せていることなど、ごちゃまぜに。

大急ぎで作ったカレーを食べながら、夫は「窓はもっと家事をバリバリやっとう人と比べてできてないと思ってるんやろうけど、窓が大変と思うならそれは大変なんよ」と言った。夫は高校生の頃、授業中にいつも眠くて船を漕いでは、先生に怒られていたのだそうだ。昭和みたいに、「廊下に立ってなさい」と言われ廊下に出ると、廊下でも寝てしまうくらい眠かった。どんなに寝ないように頑張っても眠かった。その時にいつも「なんで俺ばっかり怒られるんやろう? この教室でいちばん頑張っとうの多分、俺やのに……」と思い、ずっと納得がいかなかったのだそうだ。だから夫は、人が当たり前にできることをできないからといって頑張ってないことにはならなくて、むしろ誰よりも苦労して頑張っているかもしれないということが分かると言った。

夫はずっと前にもその話をしていたことがあった。夫の信条なのだろう……と思うとちょっと可笑しくて、夫のその話、最高に優しくて、ばかばかしくて大好きだ。そして、お腹がすくと不機嫌になるのは私も夫も同じなのだ。

 

8月14日〜18日 台風の後の晴天 食べ食べ怪獣たち

2022年8月14日日曜日

台風は過ぎて晴れ。夫とぐりーんうぉーく多摩へ。

まずは、はま寿司でお昼を食べる。はま寿司の茶碗蒸しが大好き。夫10皿。私8皿と茶碗蒸し。

ニトリで買い物をする。キッチン、バス周り中心にあれこれ、大きいものもいくつか買った。軽トラを借りて帰る(無料で借りられる)。始めて軽トラの助手席に乗って楽しかった。

夜ご飯は母にもらった美味しいサバ缶で、サバの味噌煮丼。茹でたほうれん草ものせる。にんじんのきんぴらと。

食後にくず餅2つずつと、冷たいお~いお茶。

 

8月16日火曜日

寝坊。5時20分に夫にそっと起こされる。

火曜日はお弁当はお休みで、代わりに朝ご飯を作って一緒に食べる。サラダと目玉焼きのっけトースト、ウインナー、桃のジャムのヨーグルト。

洗濯と洗い物、資源ごみをまとめて出す。カン・ビンは夫が出る時に持っていってくれた。

10時〜15時、ファミレスで働く。

今日はBさんにオカメサブレ*1を渡せた。あと3人。コーヒー豆を買って帰る。

夜ご飯は、すた丼風、にんにくたっぷりの豚丼と、昨日のにんじんのきんぴら、ほうれん草のおひたし、プチトマトとほうれん草のお味噌汁。食後に月餅と煎茶。

とてもお腹がすいていて(朝5時台に食べたきりだった)ガツガツ食べてしまってお腹が痛くなった。夫に寝ててもいいよと言われて、ソファで少し寝る。

8時頃、痛みも治まり、2人でニトリの洗濯機上の棚を組み立てた。廊下の黄色い明かりの下で。

 

8月17日水曜日 

5時10分起床。お弁当作り。おにぎり2つ、アイスコーヒー氷3つ、お茶氷8つ、バナナ1本。

夫は痩せているがとにかく食べる。大きめのお弁当箱のお弁当だけでは足りずに、おにぎり2つとバナナもつけている(力仕事ということもある)。米びつのお米があっという間になくなってしまって驚く。最近、夫を“ごはん食べ食べ怪獣”と呼んでいる。ピカタも食べ食べ怪獣だし、私は2人の怪獣たちから「ごはーん」「ごはーん」と言われて暮らしている、と思うとちょっと愉快。

今日はファミレスの仕事がお休み。夫を見送った後、かつお節と玉子の冷やしうどんを食べて、眠くなってソファで寝てしまった。頑張って起きて、それでもまだ眠くて、敷きっぱなしだった布団でまた寝てしまった。

10時頃起きて、そこからぼんやり家事をする。お礼のお手紙を一つ書いて、梱包する。

15時頃、郵便局へ。雨。苗字の変更をした。

空腹でふらふらと駅の方までたどり着いたら、またも偶然に母に会った。もともとこの後待ち合わせをしていたのだが、早く着いたので買い物していたのだそう。

母が「森」と呼んでいる、駅ビルの休憩スペース(天井が吹き抜けで、小さな木や観葉植物が植えてある)で、朝ついでににぎっておいたおにぎりを食べつつお喋りする。母は下のカフェで買ったアイスティーを飲みながら。

いろいろな人からの、お祝いへのお礼について母に相談する。千葉の伯父からのお祝いを受け取って、解散。崎陽軒のシューマイと、祖母からの梅干しももらった。雨は上がっていた。夫が帰ってくるまでにお風呂と、ご飯の支度と……何も終わってない!と、焦って帰る。昼寝をした罪悪感がある。

結局、何も終わらず。夫にお風呂に先に入ってもらって、その間にミートソースを完成させる。ミートソースごはん。温泉玉子とピーマン(茹でてオリーブオイルと塩・黒胡椒で和えた)ものせる。慌ててクノールの冷たいじゃがいものスープもつける。

夫はやさしい。家事の負担を、何とかして減らそうと考えてくれている。ピカタはかわいい。いつもかわいい。

お風呂で東直子さんの歌集*2を読んでいる。本を読んでいると安心する。

 

8月18日木曜日 雨のち晴れ

5時起床。お弁当(冷凍ギョーザと、シューマイ、塩ゆでピーマン、プチトマト、中華だしの玉子焼き、ごはんに梅干し)。おにぎりの具は、からあげと大葉。

今日は夫を見送ってからもてきぱきと、次々と。家事を全部やろうとすると「あれもやれなかった」「これもやれなかった」と思って憂鬱になってしまうので、洗濯もできた、洗い物もここまでやれた、少し掃除機もかけた、と考えるようにした。例え流しにまだ洗い物が残っていても。バナナをかじってから家を出る。流しにはまだ洗い物が残っている。

10時〜14時、ファミレスで働く。

終わってからおにぎりを一つ食べる。帰り道、雨上がりで空が真っ青に晴れて空気が爽やかだった。夾竹桃がたくさん咲いていてきれい。

洗濯物を取り込んでお風呂を沸かす。夫が帰ってくる。

今日はエスニック風焼きそば。(鶏肉、海老、茄子、ピーマン、パプリカ、玉ねぎ)

食後にカフェインレスコーヒーとココナッツサブレを食べながら、お金についてまた少し話し合った。

 

落ち着いた気持ちで本を読めなかったこの頃
この本の短歌を一つ一つゆっくり読んでいた

 

*1:ちょこっとしたお礼をするのに、度々お世話になっていた美味しいサブレ https://kibisbakeshop.com/

*2: 春原さんのリコーダー(ちくま文庫)東直子 |Amazon 私には短歌は少し難しく、でも分かりそうで分からない言葉に刺激されるのは心地よかった

7月31日〜8月6日 お祝いと内祝い こなせない家事

2022年7月31日 日曜日 

夫のおばあちゃんへの内祝いを買いに、和菓子屋へ。夕方でも暑い。

着いてからやっぱりお手紙を同封しようということに思い至り、今日は見送り、自分たち用に桃ゼリーと梅ゼリーを買った。

夜は実家から分けてもらったお中元のいいお肉で、すき焼きをする。

夫はビールを2杯飲んで、食べ終わるとソファで寝てしまった。片付けを一人でほぼ終えて、それでも起きないので久し振りに足の爪を切って手入れをした。こういうことをする時間を取れたのは久し振りだと思った。

 

8月1日月曜日

ファミレスのランチメンバーから立派な花束をいただいた。赤と淡いピンクのバラと小さい赤い実の、幸福そのものみたいに見える花束。ピクルスの空き瓶に生ける。

夜ご飯はカニカマポテトサラダ、サバの味噌煮丼、すき焼きの残りの野菜を使ったお味噌汁。

いつも家事が追いつかず、寝るのが遅くなってしまう。最後にピカタの食器を洗って、氷とお茶、お米の用意をしてから就寝。

 

8月2日火曜日

寝坊。5時20分から急いでお弁当を作る。洗濯と、山のような洗い物をして、8時過ぎに朝ご飯。

10時〜14時半、ファミレスに出勤。

帰りの電車のなかで職場の人への内祝いについて調べた。お花のお礼を探しに駅の向こう側まで歩く。とても暑い……頭までお風呂に浸かっているくらい暑かった。ぱっと買ってしまおうと思っていたが適切なものが見つからず、食料品だけ買って急いで帰った。

16時半過ぎに帰宅。夫も帰宅。火曜日は夫が帰るのが早い。

空腹を通りこした体で肉詰めピーマンを焼きながら、夫の部屋から野球中継の音が聞こえてきて、だんだんイライラしてくる。空腹なのはタイミングを見て食事をとらなかった自分が悪い、でもイライラが止められない。夫は部屋から出てきたと思ったら、「ギータが打ったー!」と楽しそうだった。

私は食器を洗いかごからガチャガチャ音をたてて取り、お椀をダン!と置く気性の荒い人と化している。当然かもしれないが怒っていることを気づかれて、気づかれたと分かると途端に、最近ずっと思い募っていたことが溢れてきた。

「8時から何も食べてないの〜!」「余裕がないの」「私だって狼が野球を観るような、本を読んだりする時間が欲しい〜〜!」と、泣き、怒った。

「でもこれは、ただお腹がすいて機嫌が悪くなってるだけなの〜〜!」と言いながら、我ながらばかばかしくて笑ってしまう。夫は、あまり笑わず神妙な顔をして聞いていてくれた。背後には洗い物の山と、前方には取り込んだままの洗濯物の山に囲まれて。

 

8月3日水曜日

お弁当、お休みをもらった。久し振りに玉子焼きの端っこや余った海苔や冷凍のおかずの寄せ集めではなくて、パンとポテトサラダとスープの朝食を食べる。

ファミレスはとても忙しかった。でも、家事をしている時よりも気分がいいと感じて、自分自身に驚く。結婚以前は家事のほうが息抜きだったのに、いつの間にか逆転している。

宅配便でお祝いをくれたAちゃんと、お花をくれた職場の人たちへのお礼を探しに途中駅で降りたら、偶然にも母に会った。

カフェでフルーツサンドを奢ってもらってお喋りをした。母の新婚の頃の話を聞いて父のあまりのひどさに、私なら離婚していると思った。すき焼きの後に夫が寝てしまった話をしたら母が、「そりゃあ、すき焼きお腹いっぱい食べてビール飲んだら眠いでしょう、ママなら嬉しいけど。気持ちよさそうに寝てるなぁって」と言って、衝撃をうけた。私はあまりにも主婦に向いていないのではないかと思う。家事の技術以前に、精神的な部分で。私があの時に思ったのは平日もあんなに洗い物ばかりして、休日にもしなければならないのか、休みはいつあるんだろうということだった。

帰って、急いでお風呂に入る。ルームエアコンの音にいちいちびっくりする。夫がもう帰ってきてしまったかと思って。

その夜は素麺を食べながら、お互いに思っていることをなるべく穏やかに言いあった。夫は言葉で説明しなければ分かってくれないが、説明すれば聞いてくれる。大抵の場合、分かってくれる。

 

8月6日土曜日

遅く起きてトーストと、母にもらったにんじんジャムとレモンジャムの朝食。

2人で家事をする。この家のキッチンとリビングは、午後にたくさん光が入るところがいい。ピカタが光りかがやく午後。

 

7月30日 ブレーメンの音楽隊 ノートに日記を再開した日 

2022年7月30日土曜日のこと

(※ この文は2023年に書いています)日記はそれまでずっと日記帳にボールペンでつけていたが、2022年の6月から7月のあいだは落ち着いて日記帳を開く時間がないように感じ、時々スマホにメモする程度になっていた。

この日、お風呂から上がり髪を乾かしていると、ふと廊下の隅に積まれた家電たちを「ブレーメンの音楽隊」みたいだと思った。動物たちが一つの大きな影になっている場面の。下から電子レンジ、トースター、炊飯器。夫が以前の家で使っていたものと、ここにもともとあったもので2つになってしまうものは、どちらかを選んで捨てる必要があった。私たちはここ1か月ほど、その作業を一つ一つやってきて大方は終わったが、捨てるのに手間のかかるこれらの家電は、ここに積んだままになっているのだった。

私は突然、この光景を記録しておきたくなった。大抵の場合、私は文字で書きとめておくが、この場合は絵に描くのがいちばんいい気がした。絵を描きたい、と思うのは久し振りだった。私は美大に入ったくせに文字ばかり書いていて、それを妹は不思議がっていたが、私にとってはそんなに違いはないのだ。忘れたくないもの、消えてしまうことが怖いものを、記録しておきたいのだ。他の動機……「この世のいいものを、描く(書く)ことで少しでも自分のものにしたい」という気持ち、「実在してほしいのにしていないものを、自分で作ってしまいたい」という気持ちもあるにはあるが、十代の後半以降からは「忘れてしまう物事を、無かったことのようにしてしまいたくない」という気持ちが常にあって、このエネルギーは衰えることなく今まで続いている。そのためには絵を描くより文字を書くほうが、私にとって都合がよかったというだけで、動機はずっと同じだった。今回は珍しく絵の方がよさそうなので、簡単にでいいから、下手でいいから、絵に描こうと思った。それで買ったまま使われていなかった無印の文庫本ノートとボールペンを手に取って、夫がお風呂から上がる前に急いで描いた。もし「何してるの?」と聞かれたらうまく答えられなそうで、描きたいという気持ちに自信がなくなってしまいそうで。

ブレーメンの音楽隊はうろ覚えだが、年老いて飼い主に用済みとされてしまったロバや犬や鶏たちの話だったはずだ。ここにある3つの家電たちは全部私がこの家で使っていたもので、夫の電子レンジやトースターや炊飯器と比べた時に性能もしくは新しさで劣ると判断されたのだった。私は昔からものを捨てるのが苦手で、でもあまりに古びたものや壊れかけのものばかり使っているわけにもいかないので、捨てる前にそれを簡単に絵に描いたり、文字で残したりしていた時期があった。(その時も無印の文庫本ノートを使っていたので、今回も自然にこのノートに手が伸びたのか)そうすれば、途端に捨てても大丈夫だと思えるのだった。

衝動にまかせて描きなぐったその1ページ目が、私にノートに日記を書く習慣を再開させることになった。

 

これをこの日の日記(絵日記)とした

 

 

7月10日〜23日 狼の引っ越し 婚姻届 蝉の声

2022年7月10日日曜日

狼から1時間早まると連絡があった。急いで準備をする。リビングのローテーブルを端によけ、ピカタのケージを東側の部屋へ移動させる。

原付きの狼と、その後にすぐトラックが到着。搬入はてきぱきと終わった。洗濯機を回し、段ボールだらけのリビングで狼とパエリアを食べる。

荷解き。

目を離した隙に、ピカタがモンちゃん*1をかじった……葉っぱにホチキスのようなピカタの歯型があいていた。ピカタは狼の部屋を出禁にする。お互い(ピカタとモンちゃん)のため。

夜ご飯はUberのすた丼。お味噌汁だけ作る。

一日動き続けていた狼の電池が切れそう。

お風呂に入り、リビングにスペースを作り2人で寝ることにする。エアコンの風が私には寒く、普段寝る時間ではないのでなかなか眠れない。明け方、ピカタがちやんとチッコをしていて安心する。

 

7月11日月曜日

リビングで目覚める。寒いけれど羽毛布団は暑い。

朝ご飯に添えようと思っていた茹でブロッコリーは腐っていた。農家の孫として、食べ物を腐らせないようにすることだけはいつも気をつけていたのに……

洗濯、洗い物、荷解きの続き。狼は有給を取っている。私は夕方から出勤。

お昼ご飯は冷凍していたミートソースで、ミートソースごはん。(パスタが一人前しかなかったので、ごはん)茄子を焼いてのせる。パプリカの焼きマリネと。

私の部屋の寝る場所をとりあえず確保して、バタバタと出勤。

壊れかけのスマホはまた圏外になっている。

Eさんに昨日代わってくれたお礼を言う。猫好きのEさんはピカタのことが気になっていたらしく、引っ越しの物音に驚いていたけれど、おしっこもちゃんとしていて元気ですと伝えた。

今日も、レジ内のエアコンがとても寒い。外が暑ければ暑いほど、ここは寒くなる。体の芯まで冷やされていく。Mくんにクレジットや図書カードの点検を教える。Eさんは早上がりした。

閉店後、思いがけず猫の話で盛り上がる。店長とMくんと私で、猫の写真を見せあう。

電波が復活していた。狼がピカタのウンチを掃除してくれていた。洗い物もして、洗濯物もたたんで、お味噌汁も作っておいてくれている。

私が帰宅してすぐ、狼は就寝。一瞬会った時に、私の体があまりに冷たいので狼が驚いていた。

夜ご飯は狼のお味噌汁と、大葉のパスタ(鶏肉とトマト入り)。最近こればかり作って食べている。1時過ぎ。

資源ごみを縛って捨てに行く。冷えた体をお風呂で温める。

4時半頃、東側の部屋で就寝。狼が起きて支度をする音を聞き、眠りに落ちる。5時頃。

 

7月12日火曜日

ルームエアコンの起動で目が覚めた。10時少し前。

狼のお母さんからショートメールがあり、父と母の名前を教える。

バタバタと支度。洗濯物を取り込んでおく。お風呂掃除とピカタのトイレ掃除。

狼が持ってきた電子レンジを使っていたら急に動かなくなってしまった。時間がなくなり、大慌てで出勤……電車に間に合わなかった。遅れる連絡をする。出勤時刻の12時ぴったりに到着。

 

 ✻ ✻ ✻

 

電子レンジは、使い方がよく分かっていなかっただけで壊れていなかった。

昼夜すれ違う奇妙な数日間。日記はつけていなかった。私が帰宅する頃に狼はすでに寝ていて、狼が目覚める頃に私は眠りにつく。途切れがちな電波でのやり取りと、深夜に作り置くお味噌汁だけで微かな交信をしていた。

11年間アルバイトとして続けていた書店の夜番勤務の仕事も最終日を迎えた。(最終日のことを全然覚えていない。日記がないと、こんなにも思い出せないことに驚く)

 

 ✻ ✻ ✻

 

7月23日土曜日 

7時半起床。目玉焼きのっけごはんとにんじんしりしりの朝ご飯を2人で食べる。

よく晴れた暑い日。私はあくびが止まらない。いつもならまだ寝ている時間に、外へ。

区役所で婚姻の手続きをする。涼しい建物のなかで椅子に座って順番を待つあいだ、どうしてもあくびが出てしまう。私にとって重要だったのは狼が結婚しようと言い、「うんしよう!」と答えたあの瞬間で、婚姻届を出すことにあまり重みを感じられなかった。それでも今日から苗字が変わった。

コメダ珈琲でミックスジュースとフィッシュフライバーガーを食べた。

 

7月25日月曜日

5時に起床。お弁当を作り、夫を見送った。ソファで一休みすると、一斉に蝉が鳴き始める。朝が始まる瞬間を聞いた。

 

ピカタは段ボールだらけの部屋を楽しんでいる様子

 

*1:数年前のクリスマスに狼にプレゼントしたモンステラモンステラは猫にとって有害なシュウ酸カルシウムを含む

◆ プールの記憶

夏の夕方、私は6歳で、祖母が運転する車の後部座席に横になって寝ていた。目が覚めた時に少し汗をかいていたけれど、張りついた髪を払い寝返りをうてば、車のなかはそんなに暑くはなかった。祖母の新しい車はエアコンが効いているのかもしれないし、プールの後にシャワーも浴びてさっぱりしたばかりだからかもしれない。心地よく疲れた体をあお向けにして、私はさっきまでいた屋内プールの光景と、反響する音と、水や空気の温度を思い出していた。

そのホテルのプールは学校のプールのように体が縮みあがるような冷たさではなく、夏の熱を持った体にこころよい程度にひんやりとした温度だった。冷たすぎず温かすぎず、たくさん遊んでも暑くなることもなかった。水はきれいで、虫や葉っぱやその他正体不明のものが浮いていることもなく、笛や大きな声で急かされることもなく、ザラザラした固いプールサイドに体育座りをしなくてもよかった。つまりプールから憂鬱な要素が一切取り除かれた、天国のようなところだった。

泳ぐのは得意ではなかったが、水と遊ぶことは好きだった。水は体を包み込み、波打ち、弾けて、プールに落ちる水滴は水面に泡や波紋を作っては、また体を包む水と一体になった。そういうひとつひとつを好きなだけ、だた見ていても構わなかった。私はただ見ていることも好きだった。中庭の窓からの陽射しを受けて水面がきらきら光るのを、プールの底に引かれたラインの赤や青を、頭上に渡された連なる旗の色が水面に映るのを、それら全てがゆらゆら揺れるのを、ただずっと、飽きるまで眺めていてもいいのだ……そう思いながらも、何だかいてもたってもいられない気持ちになり、泳いだり潜ったりといった学校やスイミングスクールで強いられてやっているようなことまで、自ずとやり始めたくもなるのだった。泳ぎの得意な祖母は深い場所で気持ちよさそうに泳いでいる。後でビート板を取ってこよう。ビート板はたくさん用意されていて、どれもきれいだった。誰とも取り合わずに好きな時に取りに行けば良かった。プールサイドには妹を抱っこした母がいた。私はまるで内側からくすぐられたかのように何故だか笑いが込みあげてきて、くくくと声を出して笑う。プールサイドの母が笑い、抱っこされた妹もつられて笑う。祖母も笑っていた。笑い声が遠いような近いような場所で響く。記憶のなかみたいに。夢のなかみたいに……

車に揺られながら、ふとこの光景は今見ていた夢だったような気がしてきた。あのホテルのプールには去年の夏に行ったけれど、今年は行かれないと言われてがっかりしたのではなかったか。いや、それにしては水の感覚も温度も、あまりにも生々しかった。私があまりにがっかりしたので、やっぱり連れて行ってもらえることになったのだっけ……私は寝ぼけた頭を起こしよく考えようとして、そして、不意にあることを思いついた。このまま夢だったのか本当だったのか、分からなくしてしまおう。それはただの好奇心からの思いつきだった。あのプールは本物の記憶か、それとも私の頭のなかで作りあげた夢か。分からないままにするなんてこと、できるだろうか。私は注意深く意識のピントをずらし、揺れる車にぼんやりと身を任せ、さっきまでプールにいたような、そうではなく、あまりに行きたかったプールをただ夢に見てしまったような、どちらともつかない気持ちを保とうとした。そして、それは成功した。あれから30年ほどの月日が経ち、今ではあの時にホテルのプールに行ったのが本当だったのか、夢だったのか、もう全く分からないままになっている。ただ、あお向けになって車に揺られながら幸せな心地で、プールの光景をぼんやりと思い浮かべ、これを夢とも現実ともつかない特殊な記憶のポケットにしまっておこうと、強く決心したことだけを覚えている。

 

2023年7月16日 晴れ